女性・30代で年収1000万円に到達した私が、就職するまでについて語ってみる。(高校~大学生編)
続きです。
今までのあらすじ
高卒・父と中卒・母の間に生まれた私。
家庭環境は共働き(ただし母が自営業)。
本は好きだったが、やってた習い事系は公文式くらい。
そんな普通の田舎の小学生が、普通の田舎の中学生になろうとしたら、大病を患い、中学一年間を棒に振りましたとさ。
さて、どうなる……
高校生時代
結果だけ書くとご都合主義のようなのですが、地元の一応ギリギリ進学校と呼ばれる私立の高校に入りました。
田舎なので、公立高校の方がもちろ ん進学実績はよかったのですが、中学一年間分の内申点が足りません。
実は、小6の頃には高専に行きたい気持ちが強かったのですが、それも夢と消えました。
ただし、国語の成績が公文式のお陰でほぼ100点だったのと、数学も公文式で先取りできていたため、受験に必要な2科目の成績が急降下することはなかったので、試験一発勝負に近い私立に的を絞って受験したわけです。(英語は壊滅的でしたが。)
また、高校だけではなく、大学も私立に進学しようとしていました。
結局、中学の休みが響いていて、5科目も受験勉強する余裕がなかったからです。
親に頭を下げました。
両親ともに働いていましたから、生活費としては困窮するほどではありませんでしたし、田舎なので住居の問題もなかったのですが、決して贅沢ができるほどのお金持ちなわけではなかったですから……。
なので、就職後は親に少しずつ仕送りをしています。
まあ、私なりの奨学金の返済ですかね。。
大学進学。そして……
自分が一番点数が取れたのが、国語と世界史だったので文系科目に絞って受験しました。
変な話、この二科目は、小学校のうちに、ほぼ勉強が済んでいたんですよね。
国語は古文・漢文だけ頑張って、世界史は「まんが・世界の歴史」みたいな本で、ほぼアウトラインがわかっていたので、複雑な地名・人名の暗記だけ頑張りました。
そして、親の転勤もあったので、家族一緒に東京に出て、GMARCHの一角に進学します。学部は経済系です。
ただ、就職に繋がるポイントは、進学先ではなく、バイト先だったと思いますね。。
バイトは、簡単に転職でき、簡単にステップアップできる
大学の授業は、そこそこ真面目に出てたと思うのですが、二年生の時、一年生の必修のクラスを受け持ってくれていた教授から、大学のチューター(ざっくりいうと、一年生の面倒を見る係)のバイトを斡旋してもらいました。
それで知ったのですが、大学のチューターという職は、非常に評判が良かったのです。企業から見ると。
あと、小さいころから、自営の母親の仕事を身近で見ていたし、たまに手伝ってもいたので、最低限の礼儀作法を守りながら、電話等の応対も出来ましたし、OA関係に強かったのもありました。
なので、大学時代は事務系のバイトを選び放題でした。わらしべ長者的にバイト先を変わり、最終的に有名IT企業のスタッフの職を得ます。バイトですけど。
そこまでくると、就職先も選び放題。
バイトでいろんな会社を見てきたので、会社を選ぶ観点も、ちゃんとありました。
(中学時代に大病した経験から、自分の健康に不安もあり、)終身雇用・安定志向だったので、バイトはちょくちょく変えましたが、就職に関しては、新卒で入った会社(SIer)に今でも勤めています。
典型的なサラリーマン・管理職です。
……以上が、だいたい、就職するまでの話です。
私が思う、人生のポイント
・両親が大人の会話に子供を混ぜてくれた。
・両親が共働きだった。
・母が起業し、自宅で働いていた。
・両親の仕事のことを結構知っていた。特に母親の仕事は身近で見ていた。
・家事・子育てを、その当時としては、分担しあっていた(ので、常にどちらかが私の面倒を見てくれていた)
・両親は仲が良かったわけではないが、お互いの仕事については認め合っていた。
・図書館に(一人で)通わせてくれた。たぶん、小学校上がるまでに100冊は本を読んだし、小学校6年間でも400~500冊は読んだと思う。
・やってて良かった、公文式。
・小学校が寛大だった。
・中学一年間を棒に振ったが、それで受験戦略を絞れたかもしれない。
・私立の高校・大学に進学させてくれた。
・大学の授業に真面目に出た。(一年次は)
・大学関係のバイトができた。
・バイト先を変わることで、いろいろな会社のことを知ることができた。
・(これは微妙ですが……)育ったところが田舎だった……
……という感じですかね。
就職編に続く……